あえなくなるなんてことはない。

でも自分の周りからいなくなる。

それはとてもつらい。とてもさびしい。

大好きなあの人たちに。あいたいときにあえない。

いつかあえるときまでがんばれるかわからない。

弱音、ここに吐くか。

はけよ はけよ。

飛べよ 飛べよ。 自分の弱さよ。

豊かさとは

楽しいと思ってることなんて本当は誰かに作られたもので

自分が本当にしたいと思って選んだものじゃないのかもしれない。

豊かさをメディアや誰かの判断に頼らないで自分で見出すこと。

これが幸せと気付かない限り

誰かの判断にずっと依存し続けることになって

豊かさは消費されて常に充填され続けなければならないから

いつまでたっても永遠に満たされない気持ちを抱えたまま。

毎日の日常の中に 豊かさを見つける視点を持つと

その選択の積み重ねが 生きることをとても楽にしてくれると思う。

誰かと比べて 落ち込んだりひがんだりすることもない。

自分らしさってそういう視点を持つことじゃなかろうか。

悩み相談を受けるといつも思う疑問をちょっと自分なりにまとめてみた。

豊かさの基準を誰かの頭に委ねてしまって自分の頭で考えきれてない。

クリエイティブに生きるって自分の頭で楽しい!幸せ!を作り出す、もしくは発見する。いや、ちがうな

楽しい!幸せ!を生活の中に見出せる能力の高い人はクリエイティブな人なんだと思う。

それが出来なくて思考停止に陥ってる人が、分かりやすい楽しさに飛びついて消費されていくものを豊かさと思っている。

教えるんじゃなくて気付かせる、発見させるというか振り向かせる

ひいては価値観を変えるところまで高いレベルに行き着けるのがデザイナーの役割だと思うのだけれど 

皮肉ながらこの国ではそのデザイナーが消費の対象になり下がってしまっているので、消費したがりな人達に対して新しい消費物をどんどん提供しているという矛盾が起こっている。

人を小バカにすることで優越感を得ようとする衝動は満たされない自己愛から生じているものでして こういう人は得てして嫉妬深く他人に依存しやすい性質を持っているので 同じ性質を持っている人同士での共依存という関係からなかなか抜け出せない

8-10-1 フォルム(形式)とマチエール(素材)と神話的なケージ

ガタリ:古典主義の理想とは,フォルムが完全に表現のマチエールを従属的なシュブスタンスにしてしまうことなわけです.それに対して,私はやや神話的と思えるやり方で,そうしたフォルマリスムから完全に解放された音楽的マチエールを対立させる事もできます──たとえばジョン・ケージがやったように.これを突きつめると,周囲の環境のノイズでさえも音楽であると宣言されたりするわけです.こういうのは理論的には擁護しうる立場なのですが,具体的にはそれで音楽家が音楽を作れるとは思いません.(『未来派2009』)

8-10-2 反復音楽(ミニマル・ミュージック)とミュージック・コンクレート

ガタリ:反復音楽における音楽の基底細胞は一定のやり方で形式的に完全に統御されているのに対し,あなたの場合はそうなっていないからです.あなたの方は,フランスで開始されたばかりの頃のミュージック・コンクレートの立場をずっと強く連想させますね.
坂本:シェフェールのような?
ガタリ:そう,シェフェールのような.ところでここでもまた,形式化されないマチエールと完全に形式化されたマチエールの対立のわなにはまる危険性があるのです.それより私が面白いなと思うところは,あなたが自己放棄をしているという事実です.既成の音楽的マチエールを,既成の複雑性,さらには超複雑性といったものを,すすんで受け入れている.あなたはまずそれらに服従するのです.(『未来派2009』)

8-10-3 マス・メディアのコスモスの超複雑性(記憶)を受容する

ガタリ:それ(服従)は,北アメリカ的なパースペクティブよりは,もっと東洋的なパースペクティブの中に位置しています.コスミックな超複雑性の変容ということですね.(…)あなたが自己を放棄して身を任せるそのコスモスは,古代インドや古代日本のコスモスではなく,マス・メディアのコスモスなのです.それはあなた自身が創った音楽–フィルムそのもののコスモスでもある.というのは昨日のコンサート(1985年11月のモリサ・フェンレイとのパフォーマンス)のある瞬間には『戦場のメリー・クリスマス』の音楽のエコーが聴き取れたからです.(…)つまるところ,そのコスモスは,我々の目の前に構成されている今日のコスモスであり,今日東京でこれから生まれてくる子供にとってのコスモスなのです.
坂本:都市的環境ですね.とにかくそこから出発するほかないという…….(『未来派2009』)

8-10-4 ハーモニー=再属領化のファクター(土–竹–樹木–金属による再属領化)

ガタリ:西洋音楽にあっては,音楽の構成要素の脱属領化が行なわれてきました.リズムの要素,音響の要素,構成上の要素,それらほとんどすべての脱属領化です.その結果として抽象的な世界が生み出されたわけですね.唯一の再属領化の要素,それはハーモニーでした.ハーモニーは再属領化のファクターである.つまり,ハーモニーこそが,あらゆる脱属領化のラインの交わるところで,可感的領土(クセナキスのふるいの装置による:注)を再定立するのです.そこでサンプリング・マシーンですが,これは,ハーモニーに替わる再属領化の構造の等価物ではないでしょうか.
坂本:それはハーモニーの連続性(ストラクチャー:注)をこわすものでしょう.(『未来派2009』)

8-10-5 ホログラフィーと時間の結晶

ガタリ:ええ,こわしますが,しかしそれはハーモニーの等価物を打ち立てる,新たなタイプのハーモニックス(ハーモニーの倍音構造–マテリアル:注)を打ち立てるのです.ここで言ってみれば,その構造の中に捕捉されるものはすべて,瞬間的な時間の知覚に帰着することになります──ありとあらゆるコンテクスト化の効果がそこから生み出されるような,時間の瞬間的凝縮に.それは瞬間(ドビュッシーが「瞬間に持続の形式を与えよ」と言ったあの瞬間か:注)の結晶であり,時間の結晶である.こうした時間の凝縮に伴い,一種のホログラフィー的な効果が現われる.これによってひとつひとつの音楽的要素が作品全体を体現するものとなるわけです.(モーツァルトのホログラフィー!:注)
坂本:ああ,それは僕も言いたかったことです.(『未来派2009』)

8-10-6 音楽のブラック・ホールへのギリギリの接近と接線方向への脱出

ガタリ:ホログラフィー的凝縮も,やはり,音楽の死に行き着く可能性をもっています.ただひとつの音が,ありうべきすべてのメロディーの積分となる.ただひとつの音がすべての音楽を代表しうる.これは音楽の廃棄の眩暈であり,主観的なブラック・ホールと呼んでいいでしょう.しかし,サンプリング・マシーンを使いながら,ブラック・ホールの中に陥り自己廃棄に至る代わりに,未曾有の増殖に立ち会うことができるかもしれない.ブラック・ホールにぎりぎりまで近寄りながらもそこから脱出し,それに接線を引くようにして,未曾有の過程化に,過程化の加速(クライン・プロセスの速度に対抗するための:注)に立ち会うことができるかもしれない.このことは,よく人が言うような,死の瞬間になって過去の記憶が加速されて一斉に甦るという話にやや似ています──これまたいささか神話的な話ですが.
ですから,ポストモダンな死とでも呼べるような音楽の死がある一方で,音楽の潜在力を恐るべき勢いで加速するような接線方向の脱出路もあるわけです.
坂本:そうですね.そこが問題なんだ.(『未来派2009』)

8-10-7 『TV WAR』CONCEPT-MATERIALのストレンジ・ループ

ガタリ:『TV WAR』で原爆がサンプリングされているのを見たりすると,(…)表現のマチエールとコンテクストの問題が,形式と内容の古い問題に取って替わった.(…)
原爆について考えてみます.古い図式では,原爆は内容として考えられ,この内容との関係で,ヒロシマ,ナガサキ,原爆,軍縮うんぬんといったディスクールを展開させてゆくことができるでしょう.これは内容のディスクールです.
これに対しては形式主義的な反ディスクールを立てることもありえます.つまり「我関せず」式のディスクールですね.それはポロックであり,ロスコーであり,ジャスパー・ジョーンズである.(…)
新しい図式では,原爆の炸裂がリズムになる.表現のマチエールとしての原爆というわけですね.(…)それは完全に両義的なのです.それはもうひとつの実在的コンテクストです.すなわち,我々はある美的リズムの中に捕えられるのだけれども,そのリズムは有意味な内容から切り離されてはいない.なぜなら,それは実際に原爆の炸裂であり,抽象的なフォルムなどではないからです.しかし,それは表現のマチエールとして働く内容なのです.こうしてその関係は完全に逆転されたわけです.
浅田彰:コンセプトそのものがマチエールになる.ここではストレンジ・ループがあるわけですね.
ガタリ:まさしくストレンジ・ループです.コンセプチュアル・アートもやはり死に至る袋小路に行き着いたわけですが,その一方で,みずからマチエールとなるようなコンセプト,音楽家が音やリズムとして分節しうるようなマチエールとしてのコンセプトが獲得されたのです.
坂本:それは袋小路からの脱出路と考えていいわけですね.(『未来派2009』)

8-10-8 『TV WAR』のアダージョ–伝統的な楽器で同じような次元を達成すること

ガタリ:『TV WAR』の音楽を聴いていて思ったのですが,スピードは速いにもかかわらず,全体を貫くゆっくりとしたリズムが感じられるのです.単なるスピード感だけではない,ある種のアダージオ.そんなことはありませんか?
坂本:そうなんです.テンポは遅いんです.ただその中で分割されているユニットはすごく細かいんですけれどもね.サンプリングによる手法というのは始まったばかりで,どんどん発展させて超複雑性に到達することもできるでしょう.しかしまた,僕のひとつの夢は,サンプリング・マシーンにたよることなく,たとえば伝統的な楽器を使って,同じような次元を達成することなんです.
ガタリ:ああ,それは非常に重要なことだ! そう,そのゆっくりしたリズムの中には,私の見るところ,二つの肯定があると思います.ひとつは音楽家のアイデンティティーの肯定であり,もうひとつはたぶん東洋的な諸価値の再肯定なのでしょう.(『未来派2009』)

フェリックス・ガタリ–坂本龍一(F・ガタリ,サンプリングを語る『未来派2009』より),8-10 フェリックス・ガタリの話を聞く『坂本龍一・全仕事』(山下邦彦・編) (via underquoted)